日米の小学校歴史教科書の比較と考察 ――第二次世界大戦を両国はどのように教えているか

【日米の小学校歴史教科書の比較と考察――第二次世界大戦を両国はどのように教えているか】(S.U君(中学2年生))
  今回、僕は日米の小学校歴史教科書の比較を行った。読み比べたのは第二次世界大戦の時代だ。比較した観点は6つで、それぞれの観点から日米の歴史教育の違いが見えてきた。
  まず比較したのは、該当箇所の文章の分量、写真、資料についてだ。まず、日本の教科書の特徴は文章が少なく、ページのほとんどが写真かイラストで構成されていることだ。そして、その写真の内容も兵士や兵器はほとんどなく、多くが一般人の悲壮な様子だった。このことから日本の教科書は、庶民の生活等の身近な様子の写真やイラストからその時代の人々の気持ちを読み手に想像させ、大まかな印象を捉えさせる作りになっている。そして、細かな歴史的な事実よりも、大まかな歴史の流れを学ぶ、ということに重点が置かれていると考えられる。
  一方、アメリカの教科書の特徴は文章が教科書のほとんどを占めていて、写真はまばらにちりばめられているだけだということだ。また、その文章の内容も、アメリカからの一方的な視点があるものの、一般的に事実と言われていることがかなり細かく書かれている。このことから、アメリカの教科書は読み手が想像や印象ではなく、歴史的事実の因果関係を本文から論理的に読み取り、歴史の流れを学ぶように作られていると考えられる。すると、写真の役割は、あくまで補助的なものだと言える。
  次に、日米開戦の理由について、両教科書に書いてある内容を比較する。まず、日本の教科書に書いてあった理由は、「日本が不景気を打開するために中国を侵略。そのまま、ヨーロッパ各地を侵略していたドイツと手を結んだことが原因で、アメリカと対立。そして、日本の奇襲によって太平洋戦争が始まった」とある。これは、太平洋戦争の開戦の原因のほとんど全てが日本にあるというように読み取れる。歴史であるため、解釈については唱える人によって違いが出てくるが、この教科書では開戦原因のほとんどが日本にあると主張しているようだ。
  対してアメリカの教科書に書いている開戦理由は、「ヒトラーが第二次世界大戦を引き起こし、それに対してアメリカは再軍備を開始。しかし、まだ孤立主義を貫く。ドイツと日本が同盟を結んだことから日本を仮想敵国にする。日本とアメリカの対立が激しくなってきたことから、日本への資源輸出を禁止する。焦った日本の奇襲によって孤立主義を解いて戦争へ突入」とある。大まかな流れは日本と大きくは変わらないが、ヒトラーの台頭から話が始まっていることから、アメリカが第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)、そして太平洋戦争に参戦することになる根本的原因は、ヒトラーの存在にあるということになる。また、「日本やドイツといったファシズム国家から民主主義を守る」という論調になっていることからも、アメリカが民主主義の擁護者であることを示している。
  次は片方の教科書のみに書かれていることを見てみる。これは、それぞれの教科書が何を見ていて、何を見ていないかを明らかにすることである。まず、日本の教科書にだけ書かれていることは、主に国民生活の様子だ。この教科書には豊富なイラストと写真が載っているが、そのほとんどが国内の一般人の様子で、戦場のようすはほとんど無い。これは、戦った将兵を英雄に仕立てて、戦争の美化を防ぐための処置ともいえる。また、写真の多くが戦争によって疲弊した国民の様子であるのは、教科書が読み手に、戦争が悲惨だという印象を持たせるための工夫ではないだろうか。
  対してアメリカの教科書には、日本の教科書にはない戦場の様子が鮮明に書かれている。むしろ、戦場の様子が中心に構成されているといっても差しつかえないだろう。また、日系アメリカ人が戦時中に収容所へ強制連行されたことや、ナチスドイツの対ユダヤ人政策についても細かく書いてある。アメリカが人権問題に敏感であることが分かる。
  次に、今回調べた範囲の中でもクライマックスとも言える真珠湾攻撃について、両教科書を比較する。まずは日本の教科書を見る。すると、日本の教科書には写真が1枚と2行の説明書きがあるのみでそれ以上はない。
  比べてアメリカは、他のどの部分よりも細かく具体的に書いてあり、また、「日本の奇襲」と強く主張している。これは、アメリカの参戦は正当防衛であることを伝えたいのだろう。
  一方、日本の教科書は「日本の攻撃」と書き、「奇襲」とは書いていない。なぜ「奇襲」という言葉を避けたのか。単により平易な言葉を選んだだけかもしれない。しかし、これは日米の歴史認識の大きな溝なのではないかと考えられる。
  次に、現在においても度々議論の的になる原爆投下についての両教科書の内容だ。まず日本の教科書の内容を見ると、「一発の爆弾で大きな被害を受けた」とある。ここで重要な点は、原爆投下に関する評価が全く書かれていないことだ。原爆は、多くの非戦闘員を瞬時に殺傷する非人道的な兵器である。そうであるならば、それを投下した「アメリカが悪い」、あるいは、「日本のせいでこうなった」といった評価が行われるべきだ。
  この点アメリカの教科書では、「日本本土に攻め込めば多くのアメリカ人が犠牲になる。だから、それを防ぐために原爆を使用した。原爆は多くのアメリカ兵士の命を救った」とある。これは核使用を肯定していて、責任問題は存在しないという立場だ。両国の教科書の記述がなぜそのようになるのか。そこには、両国の現在の政治的な問題が背景にあるのではないか。もしアメリカが原爆使用の責任を認めたら、それは核の不使用を受け入れることになる。つまり、アメリカは現在の核の抑止力を持ち続けるために、核の肯定、責任問題をもみ消す立場を取っていると言えよう。一方、現在アメリカの抑止力の恩恵を受けている日本は、アメリカの責任を声高に叫ぶことが出来ない。なぜなら、歴史問題により両国の関係が冷え込み、最悪の場合、日米同盟の解消につながることも懸念されるからだ。今の日本は政治、経済、軍事においてアメリカに頼っている部分が大きく、アメリカとの対立は日本の存亡に関わる問題だからだ。
  最後に両国の教科書が子どもたちに伝えたいメッセージについて比較する。まず日本の教科書が伝えたいことは「戦争は悲惨だった」という一言に尽きる。写真やイラストを大量に載せ、当時の一般人の気持ちを想像させて、戦争に対する恐怖心を抱かせる。さらに、日本の戦争の罪を教えることで、反戦や不戦の誓いを促している。
  対するアメリカの教科書の伝えたいことは、「自由を守り通した」の一言に尽きる。アメリカがどのような経過で戦争に巻き込まれたか、いかに主権を守ったかが書かれている。加えて、その教科書の別のページだが、そこには「マニフェスト・デスティニー(明白な使命)」という言葉がある。これはアメリカの海外進出を正当化する思想だ。つまり、アメリカは戦争を否定しておらず、むしろアメリカの主権を防衛するためには、どんな場合でも武力介入を辞さない姿勢でいる。事実、アメリカは第二次世界大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などの戦争、中東や南米の紛争に介入してきた。そうして、「パックス・アメリカ-ナ」と呼ばれるアメリカ中心の世界を作り上げた。これは、アメリカが歴史教育によって、武力行使の正当性を国民に訴え続けたことの結果だと考えられる。
  ここまで日米の教科書を比較してきて、僕は日本の歴史教科書の内容が不充分だと考える。どう不充分かというと、日本の教科書は余りに具体的な説明が少ないということだ。これでは「なぜ」戦争が起きたのか、「どうしたら」戦争が防げたのか、という考察が行えない。『納得の構造-日米の初等教育に見る思考表現のスタイル』に書かれているように、日本の歴史教育がこれまで大切にしてきた歴史上の人物への「共感の訓練」は、僕が考えるに、本来国語の時間に行うべきではないだろうか。歴史の時間には、結果からその背景にある原因を考察し、教訓を導き出すもっと論理的な授業を行うべきだ。そして、そういう授業を行うためにも、教科書を編成し直す必要があるのではないか。
  具体的に、教科書の記述の不備を指摘したい。例えば、日本の教科書は日中戦争に突入した原因が「不景気」だと書いているが、なぜ不景気になったのか。そのときなぜお金のかかる戦争をわざわざ起こしたのか。そこまで経済は困窮していたのか。なぜ満州国という国をつくったのか。なぜ日中戦争はこんなにも長引き広がったのか。たった1ページから、これだけの疑問が浮かんだが、その答えは教科書に書かれていない。だから、例えば、以下のように記述を補ったらどうだろうか。「日中戦争前の不景気の原因は世界恐慌だった。そして、植民地を多く持つイギリスやフランスは、不景気の中での自国の貿易量を確保するために、植民地とのブロック経済(本国と植民地の間で閉鎖的に貿易をおこなうこと)でしのごうとした。しかし、その結果、世界の市場から締め出された日本やドイツなど、植民地を持たない、あるいは少ない国々は、軍事力をもって資源や地域を確保しようとし、その結果日本は中国や満州に、ドイツはヨーロッパ各国に戦争を仕掛けた」と、これくらいかそれ以上は書かねばならない。僕自身1年3か月前までは小学生だったので分かるが、小学生は大人が想像する以上に多くのことを理解できる。実際、アメリカの教科書は日本の中学の歴史教科書として使用しても充分通用するか、もしくはそれを超える内容になっている。このくらいの内容だからこそ、子どもの興味をひき、知りたいという欲求に応えられるのだ。
  僕は、日頃から、歴史関係の書物を好んで読んでいる。その中には、日露戦争や第二次世界大戦に関する本も含まれている。しかし、そういう書物を学校で読んでいると、白い目で見てきたり、「そんなに戦争が好きなのか、戦争したいのか」と中傷してきたり、対話を拒絶したり、怖がったりするクラスメートがいる。なぜ、戦争に関する本を読んでいると「戦争好き」になるのか全く分からないが、このように言われたことは何度もある。僕も言われっぱなしでは悔しいので、なぜそのようなことを言うのか逆に問い詰めると、彼らの答えはしどろもどろで、戦争の歴史に関して無知な場合が多い。彼らは、聞きかじった歴史を鵜呑みし、事実かどうかを確かめようとは思わず、思考を停止させているだけではないか。それは戦争の反省ではないし、その思考で平和がやってくるとは考えがたい。真の平和を得るためには、戦争の歴史を遠ざけるのではなく、逆に丹念に学び、教訓を現代に生かす必要がある。そして、戦争に関する国民の教養を高めるためにも、日本の小学校の歴史教科書の改訂は必須の課題である。

【使用テキスト】
・『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』ジェームス・M・バーダマン、村田薫[編]、ジャパンブック
・『新しい社会6年上』東京書籍

【参考文献】
・『納得の構造―日米初等教育に見る思考表現のスタイル』渡辺雅子、東洋館出版社

※作品のコピー・無断転載を禁止します

【講師評】

  この夏、戦後70年の敗戦の日を迎えます。その日に向けて、私は小6から中高生の子どもたちに、これまでとは別の切り口で70年前の夏まで続いた第二次世界大戦(太平洋戦争)を振り返ってもらいたいと考え、こうした授業を行っています。日米の歴史教科書の記述を比較する中から、「同じ歴史事実なのに、国が異なると教科書の記述がなぜ違ってくるのか」、「教科書の執筆者は、どういう意図で教科書を書いているのだろう」など、様々なことに気づいてもらえたらよいと思っています。一言でいえば、子どもたちの“教科書リテラシー”の意識が進めばよいと考えています。
  今回、中学2年生のS.U君は、単なる教科書比較にとどまらず、日本の教科書の記述をこう直したらよいのではないかという具体論まで踏み込んで書いてくれました。それができたのは、S.U君が日頃から近現代史に関する本に親しみ、詳しい知識を持っているからです。しかし、もし仮にそれほどの知識を持っていなかったとしても、日米の歴史教科書を一度比較してみさえすれば、そのレベルの差を確認することは、実はそれほど難しくはありません。アメリカの方がずっとレベルの高い教科書であることはすぐに分かります。そしてそのレベル差というのは、昨今喧しい歴史認識とは関係がありません。明らかに歴史教科書としての詳しさの違いが日米間にはあって、中学生の目にも、それが明らかになったということです。
  文部科学省内では、教科書検定のために国内で発行されている教科書が集められ、その比較は毎年のように行われていると思われます。しかし、一度視点を変え、世界各国の歴史教科書を取り寄せ、日本に関する記述の部分だけでも、詳しさの比較をしてみたらどうでしょうか。そしてその方が有意義な教科書の比較となり、教科書を抜本的に変えていくきっかけとなるに違いありません。(担当講師:中村一郎)


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