古典文学講座:”物語”について

曹昇鉉

4月もなかばを過ぎ、古典文学講座が始まって、ひと月が経とうとしています。今後教室ホームページでは、随時講座の内容についてアナウンスをしてゆきます。今回は、4月から6月までの講義を通底するテーマである”物語”について、簡単にお話をしたいと思います。

今月の授業では、「桃太郎」や「一寸法師」など、なじみ深いむかし話を読みながら、〈話型〉という考えかたを学んできました。〈話型〉とは読んで字のごとく、物語の持つ一定の型、パターンのことです。むかし話や神話の中には、よく似た話=〈類話〉がたくさんあります。たとえば有名な「シンデレラ」には、アジア・ヨーロッパを中心に、世界中に〈類話〉を見出すことができます。日本版の「シンデレラ」は「灰坊」といって、名前からも分かるようにシンデレラが男の子になっていますが、やっぱりよく似ています。物語には世界的な広がりがあり、異なる言語・文化をまたがって、おなじ〈話型〉が見出されることが数多くあるわけです。「桃太郎」や「一寸法師」のばあい、大きくいうと〈異常出生譚〉というタイプに属する物語、ということになります。こちらも読んで字のごとく、主人公が異常な生まれかたをする物語を指すものですが、そうした物語はそれこそ世界中に、数えきれないほどありますね。

こうした〈話型〉の普遍的な広がりが生じるのには、共通する原話の存在など、さまざまな理由が考えられますが、ひとつには物語というものが人間にとって、欠くことのできない〈認知的道具〉であるという事情があるのだろうと思います。私たちはこのぐちゃぐちゃした世界をきちんと整理整頓して認識するために、いろいろな道具を用いているわけですが、物語はその主要なひとつです。以前起こったある出来事を、今起こったべつの出来事と関係付けて理解する、というようなばあいを考えれば、このことは実感的に納得できるのではないでしょうか。私たちは物語という衣装を着せることなしに、そのようなことを考えることができません。

日本語の〈モノガタリ〉ということばも、そのことをよく表しています。〈カタリ〉ということばは〈カタ〉、つまり形/型と語源が同じであると言われています。絶え間なく変化しつづける流動的な世界をことばによって〈カタ〉どり、〈カタチ〉へしてゆく行為が、〈カタリ〉と呼ばれたのです。この意味で〈モノガタリ〉とは、人びとの現実認識の結晶のようなものであるということができます。古い時代の〈モノガタリ〉を読むことはだから、過去の人びとの世界の〈カタチ〉を知ることでもあるわけです。そうした〈カタリ〉に触れ、自らのなかにその痕を発見することで、私たちはより良く現実を見、自分自身を知ることができるのではないかと思います。

〈モノガタリ〉はまた〈モノ〉の、あるいは〈モノ〉についての〈カタリ〉でもあります。ここでいう〈モノ〉とは、はっきりした形ある物体ではなく、むしろ「もの思い」や「もの悲しい」などというときの、なにか漠然とした、掴みどころのないなにものかを指すことばです。だから古代の人びとは、幼児の喃語や恋愛関係にある男女のとりとめのない会話を、〈モノガタリ〉と呼びました。このような〈モノ〉の次元から考えるならば、〈モノガタリ〉とは、容易には〈カタチ〉にしがたいこころの動揺を、それでもなお〈カタ〉ろうとする努力である、ということができるのかもしれません。

5月、6月の授業では、それぞれ『竹取物語』、『伊勢物語』を扱ってゆきます。これらの物語を読むことが、古典文学や現在を生きる私たち自身への、新たな興味の発端になってくれれば幸いです。



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