講演会報告「ツベタナ・クリステワ教授 特別講演」

【和歌と日本語】

2012年4月7日、ツベタナ・クリステワ国際基督教大(I.C.U.)・大学院教授をお招きして、当教室の別室・月光町アパートメントにて講演会を開催しました。なお、この講演会は4月8日付の朝日新聞朝刊33面と朝日新聞デジタルに掲載されました。あわせてご覧ください。

朝日新聞デジタル「ブルガリア人のICU教授が講演 古典の魅力を中高生に」

ツベタナ先生(撮影:小林敦)

 

「日本にはじめて来たとき、日本人が日本の古典に興味を失っていることを知って、ショックでした。工藤先生はいま、和歌に失恋したとおっしゃいましたが、私はしていません。もっともっと好きになっている。みなさんが古典に失恋しているなら、その愛情を取り戻すためにご協力します!」。場内爆笑。『心づくしの日本語』(ちくま新書)の著者であるブルガリア人、ツベタナ・クリステワ先生は、その第一声から、一瞬にして私たちを魅了した。

「私にとって日本の古典は、心の支えです。そこには日本語のエネルギーが読み込まれています。私は和歌から充電していますよ。どんなに落ち込んでいるときでも、エネルギーをいただく。あなたたちなら、なおさらでしょう。この魅力を味わうことなく古典嫌いになったら、もったいない!」。ツベタナ先生から情熱がほとばしる。

中学生から大人までの聴講者たちに、ツベタナ先生から最初の質問が投げかけられる。「世界のあらゆる言語で、まったく同じようなことが言えるでしょうか、まったく同じような思いが表現できるでしょうか? そもそも、人の思いは、使っている言語とは無関係でしょうか? どちらが先なのでしょうか? 思考? 言語? 思い? 表現?」 言語と思考はどちらが先なのか? 答えは子どもたちを観察すればわかる。子どもは、言葉を獲得すると同時に世界を知る。言語は思考の「あとに」あるのではなくて、思考と「一緒に」あるのだ。それは、日本語だからこそ生まれる思考があることを意味している。先生はそこから一気に、比較言語学の世界へと私たちを連れ出す。「日本語はとてもハンディキャップのある言語。同時に世界的にとてもユニークな言語」。日本語の五十音はアルファベットより文字数が多いが、音節(syllable)が少ない。だから、おそらく世界のどの言語よりも<同音異義語>をたくさん持つ言語になった。この特色の駆使によって、言葉と言葉は繋がり、連想が重層的に連なっていく。和歌に花開く<同音異義語>たち。

 

<松>の木に 人を<待つ>

<夜>になって 波が<寄る>。恋しい人が<寄る>

<なぎ>さに出て <泣き>ながら <なみ>とともに <なみ>だが <なが>れる

<秋>がきて 人の心に<飽き>がくる

 

「こんなに繋がっているなんて、信じられない! 日本語は宇宙人がつくった言葉?って驚いたブルガリア人もいる。日本語って、すごいと思わない?」

さらに、仮名(かな)文字で書かれた和歌において、濁点が打たれなかったことによって<同字異義語>(新語)が出現した、と先生は指摘する。<見えて>によって、<見え>/<見え>(=見えないで)、の二つを表わす。ここでも日本語は、相反する意味を同時に表現する能力を発揮する。そして、こうした日本語の特質は、和歌の中で、究極にまで洗練されていったのだ。

ツベタナ先生は、一緒に和歌を唱和しようと私たちをいざなった。声に出して和歌を詠むのが初めての人、久しぶりの人……みなが日本語の響きの中にひとつになった。次々と詠んだ和歌の、最後の一首。

 

なき人の形見と思ふにあやしきはゑ見ても袖の濡るるなりけり(拾遺。雑下・五四二)

 

先生は<掛け言葉>の多重な意味を読み解きながら、この歌を次のように現代語訳していった。「亡き人の形見だと思ってこの絵を見ると、涙が流れてしまいます。でも不思議なことに絵を見ていると、面白かったこと、楽しかった思い出も混じってくるのです。すると、淋しくて思わず流した涙の中に、微笑みが浮かびあがってくるのです」。<ゑ見て>は、<絵見て>であり、同時に<笑みて>を含んでいる。この歌を詠みながら、ある者は数年前に亡くなった家族のことを思っていたという。それが千年も前に詠まれた歌だということなどすっかり忘れて。これが、古典のエネルギーというものか。「こんなことができるのは日本語だからです。素晴らしいでしょう!」

日本の古典文学・和歌は、人の心と自然とを、たった31文字の中に詠み続けてきた。

<掛け言葉>を何層にも重ね、肯定/否定を断定せずに。それは現代社会の価値観によって、ただ「あいまい」と捨て去られるべきものなのだろうか?

「人の心というのは、そもそもあいまいなものではありませんか? 憎いけれど、恋しい。淋しいけれど、楽しい。違いますか?」。 好きでも、直截に伝えるのは照れるから、自然の風景を詠みながら、恋の心を美しく伝える和歌。「こうした日本語を、和歌を、古くなったという人は淋しい人だと思います。和歌は今なお、心の支えになるものです」。

ツベタナ先生はたった2時間で、私たちの心に、日本の古典への愛情という種を確かに播いてしまった。そしてそれは未来に繋がるエネルギーを持つ種である。「日本古典文学のあいまいさ、両義性は、実は21世紀の思考なのです。イエスかノーか、白か黒かの単純な二元論は20世紀に終わった。そのことは現代物理学の世界でも明らかです。日本古典文学はこれからも生き続ける。それは実は未来のものなのです」。

 

質疑応答は時間を遙かにオーバーして続いた。講演終了後も、多くの生徒や父母が先生のもとに集まって対話を続け、質問をし、またある者は先生から勉強の励ましを受けた。参加者の誰もが、ツベタナ先生の国文学、文化人類学、言語学、記号論を自在に横断するエネルギッシュな知性と学問への情熱に触れて、圧倒されていた。その興奮はいつまでもさめなかった。

(国語専科教室講師 中島ゆかり)

ツベタナ先生と工藤順一(撮影:小林敦)

 

【参加者の感想より】

「今回の講演会の参加で、古典、古文、ひいては日本語に対する捉え方、見方が完全に変わった。また現代人がいかに狭い視野でしか物事を見られていないかが分かった。(高2)」「日本人は、思っていることを素直にあらわせないため、二重のかくれた意味がある和歌ができたのだと思いました。はじめて和歌の意味と心を教わったのが、ツベタナ先生でとてもよかったです。(中1)」「…本当に深い、けれど短い詩だと感じた。短い詩の中で、たくさんの深い内容が入っているのは、日本語の力だと感じた。今日は楽しかったです。(中3)」「日本語、古文は、とても美しく、深いと思うことができた。これからの中学の古典の授業が楽しみになった(中1)」「感動しました。自分の考え方が少し変わるだけで、これから学校で教わることが楽しみになりました(中3)」「古文といえば文法がひたすら出てきて、それをひたすら暗記するようなものだと思っていましたが、現在の小説のようなものであり、人の心が上手く表わせているものだと思い、感動しました。(高1)」「今日の講演会で、今までは東洋が西洋を必死でまねていたが、これからはその逆のことが起こるのではないかと思った。(高1)」「古典に対する見方が完全に変わりました。面白かったです。(卒業生)」

心づくしの日本語: 和歌でよむ古代の思想 (ちくま新書)

 

 



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