『これで読む力がぐんぐんのびる!!』 (合同出版)

これで読む力がぐんぐんのびる!!―もっと楽しく、もっと深く本のおもしろさに目覚めるなるほど問題にチャレンジ!!

これで書く力がぐんぐんのびる!!―作文がもっと楽しくなるおもしろアイデアたっぷり問題にチャレンジ!!』の続編となります。教室の12年間のカリキュラムを支える読書指導の要点が、具体的に示されています。

「まえがき」と「あとがき」より(工藤順一)

【まえがき――読む力とは】

私たちの考えている「読む力」とは読解力=読解問題を解く力ではなく、一冊の本を読み通す力のことです。この考え方は、ひとつの単語が文の前後の 脈絡でさまざまに意味を変えるように、文章の一節も一冊の本という全体の中の部分であり、全体が見えてはじめて一節の意味も最終的に確定するという考え方 からきています。

私たちは、この10年以上に渡って地道に、何千冊もの本を買いそろえ、生徒ひとりひとりの読書指導に苦心惨憺しながら組織的に取り組んできまし た。そして、何ともうれしいことですが、この長期に渡る読書指導にさえ成功すれば、あとは、学力問題も含むさまざまな教育の問題はほとんど解決してしま い、その上、読書という生涯に渡る人生の宝物・生き甲斐のようなものすら手に入れられる、ということもご報告しておかなければなりません。

この本では、子どもの発達過程を踏まえた長期間に渡る読書指導の各段階について、各章を設けました。発達過程の最中にある子どもは、一学年異なる だけでまるで違った生き物にも等しいものです。つまり「読む力」と言っても、実は、各学年あるいは発達の段階で相当に様相は異なり、それに対応できるきめ 細かな指導の工夫が必要なのです。詳しくは、その発達段階を五段階に分けた、拙著『国語のできる子どもを育てる (講談社現代新書)』の第二章を参照くだされば幸いです。

第一章は、プライマリー読書と名付け、就学前から、一年生・二年生あたりの読書指導について書いています。この時期は、いわゆる「読み聞かせ」と 言われている活動が中心になるのですが、私たちは、その言葉に違和感を持っています。多くの他の「読み聞かせ」について語られた本とは異なり、私たちの指 導は、次にくる黙読=ひとり読みを前提にした黒子的なものに徹しています。この時期の指導に成功すると、その後に続く指導は極めて実り多いものになりま す。レッスン3の読んだフリをする子どもは、教育熱心な(すぎる)親の元ですごす子どもにありがちなことで、これまでには語られることのなかったアプロー チです。

第二章は、スタンダード読書と名付け、本格的な黙読の世界に入っていきます。この段階で大切なのは、きちんとした内容の把握です。しかし、注意し なければならないのは、学校や塾の国語で行われている読解指導のようにあまり細部の解釈にこだわると「角を矯めて牛を殺す」=国語嫌いや本嫌いなりかねな いということです。そこで、主題をはずさず、おおまかに本一冊を要約するという作業をするのです。もちろん、ここでも、主題というものがクイズの正解のよ うにあるわけではありません。時代や読む人間が異なると主題すら異なってくるのが文学の醍醐味というものです。
レッスン4以下で紹介されている『トムは真夜中の庭で』は、六年生くらいにならないと読めないものですが、その前段階の4年生・5年生では、杉みき子さ んの『小さな町の風景』偕成社を一冊、何ヶ月もかけて要約しながら精読するプロセスがあることを補足しておかなければなりません。(拙著『論理に強い子どもを育てる (講談社現代新書)』に詳述しています。)

第三章は、ハイレベル読書と名付け、6年生から中学生以上を想定しています。この段階に必要なことは、論理的でクリティカルな読解です。書かれている内容を、論理的にまとめてみたり、鵜呑みにせず突っ込みを入れたり、分析したりしながら読むということを学んでいきます。

第四章は、「考える教室」と名付け、高校生以上を想定しています。この本では、エンデの『モモ』の再読を、あくまでもひとつの例として書いていま すが、この段階では、親や教師からの自由と自律が目的となります。何かの本を指定されたり指示されたりして読むのではなく、自由に、そしてあくまでも自発 的に読むという段階です。この段階の指導は生徒個人によって全く異なってくるといってかまいません。

【あとがき】

国語専科教室のプログラムは、子どもの発達段階を考慮した、長期間に渡る体系的な読書指導の、ひとつのモデルであることをめざしています。

およそ教育に携わったことのある者で、子どもたちに読書を勧めなかった人はいないはずです。ところが、かけ声は大きく、言うのは簡単なのに、この 読書指導ほど、いざ長期に渡って実践に移すとなると難しいものはないというのが、私の率直な意見であり実感です。それゆえ、多くの場合、学校においても私 塾においてもごく一部の教師の個人的実践を除いてほとんどなされていません。

その理由はいくつかありますが、まず、多くの大人あるいは教師そのものが読書をしていません。とりわけ、内外の児童文学に精通している教師が極め て少ない。次に、一冊・二冊の本の紹介ではなく、子どもの発達過程を踏まえた長期間に渡った本格的で体系的な読書指導は、残念なことに日本には、先例がま だありません。それゆえ、指導する教師の側の個人的・趣味的な読書の範囲を超えられません。第三に、国語という教科との関連で、目的と手段の転倒が起って います。つまり、本来は、難しい本を根気よく読書できるようになるためにこそ、国語を勉強するのですが、国語の成績を上げるために読書するという転倒がま かり通っています。第四に、読書は自由だということです。すなわち、本には「読まない」という自由すらあり、それを強制したとたんに読書そのものの意味が なくなります。学校で蔓延している読書感想文がその罪を犯しているでしょう。

いまの日本の教育は学校や成績にとらわれすぎていて、人生の生き方や死に方、そして生きていくのに大切なことは何一つ教えてくれません。ところ が、学校では学べない読書の世界、すなわち先人の書いた書物を、時間をかけてゆっくりとひもとく時、そこには、これまでの人間の築き上げてきた知恵や勇気 や個性が無限と言ってもいいくらい豊穣に、咲き乱れ、花開いています。ほんとうのことを言うと、人は学校がなくても、この人類の世界遺産である読書世界を 知ることで、力強く学び、生きていけるのです。

もちろんですが、読書などしなくても人生で成功する人はたくさんいます。とりわけ経済的な成功者に、そのような人は多いでしょう。経済は、人と人 を結びつける大切なものです。しかし、人生をそれだけで過ごしてしまうのは、せっかく生まれてきたのにあまりにももったいない。

読書の目的について言うなら、気晴らしから学術研究まで含み、あまりにありすぎてひとつに絞り込むことはとてもできません。しかし、どうしても 語っておきたいことがひとつあります。それは、活字で書かれた本を読むのはあくまでも練習でしかないということです。活字になったものは、既に過去のでき ごと、そして、自分以外の視点から書かれたことです。本からふと眼を上げてみましょう。すると、眼の前に広がる世界があり、そこには、自分のまなざしと生 きている現在があるのです。私たちは、その自分の生を未来に向かって力強く生きるべきなのです。



市販教材

dokusho
『書きこむだけで読書感想文がすらすら書ける』発売のお知らせ
4月30日、当教室が作った読書感想文のためのテキスト、『書きこむだけで読書感想文がすらすら書ける』が発売されました。 書店やオンライショップで購入できますので、ぜひともお手に取っていただければ幸いです。 (以下の画像をク ...続きを読む »
文章教室シリーズ1
「国語がもっと好きになる文章教室」シリーズのご紹介
教室主宰工藤順一の監修による『国語がもっと好きになる文章教室』シリーズが合同出版より刊行されました。 本シリーズは、「子ども俳人になる! 俳句はこうつくる」「子ども歌人になる! 短歌はこうつくる」「子ども詩人になる! 詩 ...続きを読む »
gungun_yomu
『ぐんぐんのびる!!』シリーズ《読む・書く・考える》 三部作(合同出版)
合同出版より、『これで考える力がぐんぐんのびる!! 国語練習帳』が出版されました。絶版となった『子どもの「考える力」を伸ばす国語練習帳』(PHP研究所)をお探しの方も、同じ内容を再構成した、この『これで考える力がぐんぐん ...続きを読む »
Copyright © 工藤順一 国語専科教室 2017 | base design criated by Ani World.