ワークショップ報告「間に合わせもの」

ワークショップ報告(工藤順一)

朝から好天にめぐまれ、明るい日差しの中で、原美術館は、そのたたずまいそのものが作品に近い。

ラウシェンバーグだけではなく、ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンシュタイン、アンディ・ウォホール、—–一時期のアメリカのニューペインティング作品がところせましと、ちりばめられている。なつかしい名前たち、これらはもう古典になりつつあるものばかりである。

だが、たとえば、バーネット・ニューマンの白黒のとてもシンプルなストライプの小版画がひとつだけあっても、彼のその他のカラフルな大画面の作品をしらない場合、それが何にも情報的な価値を持たないのである。

日本有数の現代美術館と言っても、やはり、原美術館は小さすぎる。これはまずい、私の知っている抽象表現主義とか、カラー・フィールドペインティングとか、アメリカのニューペインティングと呼ばれてきたものは、このスケールではない。ぜひ、作家名を検索してそのスケール感をみてほしい。

急遽であるが、私は、窓と絵を比べることを思いついた。絵は窓のようなものであるのだが、それをひとつの自立した抽象空間と見るか、環境の一部と見るかで、分かれるはずなのだ。

あくまでも前者に属するバーネット・ニューマンとは異なり、ミックスト・メディアを駆使したラウシェンバーグは、後者に属していくはずである。

原美術館の窓はとても大きい、そこに白い半透明のスクリーンがかかっていて、外界の情景を遮断している。だが、半透明であり、好天ゆえの日差しが強いために、外の庭の樹々が透けて見えている。しかも、手前にあるそのスクリーンに黒々と影も映し出しているのであった。うっすらと見える外界と真ん中の窓そのものと、手前に外界の影を映し出している半透明のスクリーンが絶妙の効果をもたらしている。—-まるで、作品のよう。

あるいは、展示室そのものが、古い暖炉のようなものを残し、その上には、真っ白に塗られたテラスのようなものがあり、展示室という環境そのものが—まるで作品のよう。

私は、生徒にそのように注意を向けた。

その延長上に宮島さんや奈良さんのひと部屋そのもので構成される作品があるはずである。

そして、作文とは反対にあまり、「意味」を考えないこと、あくまでも、表面的な感覚そのものを楽しむことにも注意を向けた。

いまの日本の美術教育がどうなってるのか皆目私には分からない。通常は、海外に行くか、美大にでも進まない限り、これらの本物に接したり、意味を考えたりする機会はなかなかないはずである。だが、美大に進むとは美術家になろうとすること。そうではない人が、いわゆる教養として、アメリカの一番勢いのあった時代のアートに接する機会はあるのだろうか。

日本はとてつもなく貧しい。それがその日の感想である。だが、美術館の中庭に臨んだレストランの1000円のランチはとても美味しかった。


ワークショップ

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