ペットは食べられるか(高3・M君)

講評(講師:工藤順一)

いのちの食べかた [DVD]

現実には解決のつかない疑問や問題がある。大切なのは、書くことによってその存在に気づくことであり、安易で早急な解答や結論を文章でひねりだすことではない。現実とは、実は、そのようなことばかりであると言っても過言ではないくらいである。

この文章の場合、ありがちな、あせって観念的な結論を書き出すことをセーブさせ、問題のありかをきちんと整理して提示することのみにとどめた。細部は直したいところもあるが、よく書けている。

本文

『ペットは食べられるか』

1…序論

人間は生物に対して複雑な感情を持っている。人間は他の生命に様々な影響を及ぼし、そして及ぼされながら生きてきた。その中で、保護しようと考える時もあれば、殺してしまう時だってある。そのような感情のすべてを人間の論理では説明できない。そこで、今回は動物に対する私たちの奥深くにある意識に焦点を当てて書いていきたいと思う。

2…動機

そう思い立ったのは、私たちの食卓に届く肉類の加工過程を描いた『いのちのたべかた』(原題Our Daily Bread・監督ニコラウス・ゲイハルター)という映画を見てからである。牛が悲鳴をあげながら屠殺場の中へと押し込まれていく場面。牛が電気ショックで気絶させられ、解体されていく場面。豚が一瞬にして殺され、血だらけで運ばれていく場面。鶏のひながベルトコンベアーでもののように運ばれていく場面。私たちは食卓で肉類を食べているときは改めては意識しないが、元はと言えば、皆生き物である。その生き物が、これもまた生き物である人間に、ただの物のように扱われているシーンをみると、自分は、妙な気持ちになった。それだけではない。その後、ある機会に動物愛護団体のホームページを見ると、「動物一時保護所で保護されていた飼い主のいない犬が、安楽死させられてしまった」ということに断固反対する、といった類の趣旨の文章が多数載せられていた。これを見て私は、違和感を覚えずにはいられなかった。犬たちは、豚と違って、安楽死させられただけで大きく取り上げられ、反対してくれる人たちがいるのである。この差別は、私の動物、さらには生命の保護についての考え方を大きく揺らがせるものだった。そこで、私は、動物を含む他の生命と向き合うとき、人間はどのように感じているかを、家畜とその他の動物を比較しながら考えていく。

3…現状の把握

まず、このことを考えるにあたって、豚たちが殺されているという事実を認識することが必要だ。犬や猫が殺されていることはよく認識されている。それは、世界には動物愛護を訴えている人たちが多くおり、彼らが犬や猫など、私たち日本人の多くが愛情を持っている動物に対して愛護の運動を起こしているからだろう。そしてそのおかげで、犬や猫の死を人々が理解し、むやみに犬や猫が殺されることは少なくなっているのだ。しかし、豚は毎日殺されている。この事実はほとんどの人が知っているはずだが、人々はわかっていない、と私は感じている。確かに、私も映画を見るまでは豚が殺されているという事実をわかってはいなかったと思う。わかっていないという理由は、犬と違い、毎日相当な数の豚が国内でも殺されているというのに、そのことを強く思っている人が少ないからだ。学校でも教わることはなく、ましてやニュースなどのテレビ番組で報道されることはまずあり得ない。さらには、「屠殺」という言葉がパソコンの変換ソフトでも出てこないような言葉である。家畜を殺害する行為そのものが、社会の表には出てきていない。そこで、家畜が殺されることを理解するには、屠殺の現状を描いた本を読んでイメージを持っておくことが大事だと思う。さらに言えば、映画やインターネット上で生の映像を見れば、豚などの家畜について考えようと思いだすのではないだろうか。そして、私たちの食卓に出てくる肉類は、人間の栄養となるがために、殺されてきた生命であることを認識する必要がある。そうして初めて、私たちがどう家畜たちと向き合うかを考えていける。

4…現状の追及

では、犬や猫と、豚や牛の違いとは何であるのかを考えていく。犬や猫というのは、一般的にペットとして認められ、多くの人が可愛さを覚え、人間に大事にされている。そのため、犬や猫の死に対し、人の死と近い感情を覚えていると思う。豚は、その“死体”をよく目にしていてなじみが深いものかもしれないが、生きている豚を目にする機会は少なく、特別深い愛情を持つこともない。人間の自然な感情として、愛するものを殺される時が、生きている中でもっとも哀しむ瞬間の一つである。だから、犬や猫の愛護運動は至極当然なものである。簡単に言ってしまえば、だからこそ犬や猫の死は大事にされ、豚や牛の死は意識されることが少ないと言える。

5…意見

しかし、愛しているものだけを保護していけばよいという考え方は大きく間違っている。生命、という観点では、むやみに殺してはいけないものであるはずだ。そもそも、私たち人間には生命を守ろうとする気持ちがある。アザラシのタマちゃんが多摩川に現れたときは東京中の人がタマちゃんのことを気にかける。皆さんの中には、動物でなくても、花壇が荒らされているのを見たり、木が切り倒されるのを見たりすると、可哀想だという感情が湧く人も多いと思う。ここで、生命は守らなければならない、というと、こんな風に解釈される方も出てくるかもしれない。蚊も殺してはいけないのだろうか、もっと言えば結核菌だって生命なのだから殺してはいけないのではないか、と。しかし、私たち人間を含めた生物は、生態系の一員である。小学校でも生態系のことは教わると思うが、このことの本当の意味は、私たち生物の多くは何かを殺していかないと生きていけない、ということだと思う。だから、何も殺さないで生きていくのは不可能である。私たちは、何かを殺さないと生きていくことはできないが、生物を殺すことに哀れみをも覚え、その二つの感情の狭間に生きているのだ。

6…結論

私たちは動物たちを二つに大別し、片方を愛護しながら、もう片方を食糧として殺している。そして、この大別によって、私たちは生物を殺しながらも、哀れむというアンヴィバレンスな感情から逃げてきている。動物にしてみれば、愛護される理由も食糧とされる理由も存在しない。私たち人間の感情によるものにすぎない。私たちは、私たち自身の中にある複雑な感情に悩まされながら生きている、ということを意識して生きていきたい。

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