書くことは「自分」を創りあげること(工藤順一インタビュー)

「書くこと」の得意な子どもを育てる方法、何のために「書くこと」を学ぶのか――。主宰工藤のインタビュー記事を、Z会情報誌『Zigzag Time 4・5・6年生』2008年12月号より転載いたします。また、雑誌記事のPDFファイルもございますので、あわせてご覧ください。

はじめに

※以下の記事はZ会情報誌『Zigzag Time 4・5・6年生』2008年12月号より転載したものです。

作文や感想文が苦手、嫌いという子どもが増えています。しかも漢字や読解問題はとても得意な子やテストでは高い点数を取れる子のなかにも「書くのは苦手」という子どもが多いのは、なぜなのでしょうか。

一方、最近の入試では記述力や表現力を問う出題が増えているため、「どうしたら書くことに対する苦手意識を克服できるのか」とやっきになる保護者も少なくありません。

いったいどうしたら「書くこと」の得意な子どもを育てることができるのでしょうか。そもそも「書くこと」とは何のために学ぶものなのでしょうか。

国語に特化した個別指導塾、「国語専科教室」を開校し、漫画を題材にするなど、さまざまな工夫で作文指導を行っている工藤順一先生に、お話をうかがいました。

(取材・文=生沼有喜)

学校では書き方を教えられていない!?

――漢字や読解問題がよくできる子どもでも、作文は苦手、嫌いというケースが多いようです。いったいどうしてなのでしょうか。

そもそも、何もないところから自分で構想を立て、言葉を一文字一文字原稿用紙のマス目に埋めていく作業には大変なものがあります。しかもここには正解がない。「書く」ということは、ほかの教科の勉強と比べると、かなり性質が異なるものなのです。

これは、正しい書き言葉で文章を書くということが学校では全く教えられていないことも一因です。話し言葉と書き言葉は語彙が違うだけではなく、考え方そのものが違うんですね。その認識すらないまま、「日記を書きなさい」「思ったままを表現しなさい」と言われても、子どもたちにはハードルが高すぎるのです。

今や日本中が「受験、受験」で目の色を変えています。子どもたちが一生懸命に漢字を覚え、文章読解に努めようとするのは、テストのためであり、進学のためであって、「自分で文章が書けるようになるため」の勉強にはなっていません。だから指示語が何を指すのかにはものすごく敏感なのに、自分で文章を書くときには無駄な繰り返しを平気で一文の中でつかってしまう。しゃべり言葉でそのまま書いてしまう子、形容詞や形容動詞を適切かつ豊かにつかえない子も非常に多いですよ。

――そもそも、何のために「書く」練習が必要なのでしょうか。

書くことは、目の前にいない人、情報を共有しない多くの人に、自分が現実をどのようにとらえ、何を考えているかを伝えるための一つの「手段」であり、「道具」なのです。

学生時代なんて、あっというまに終わってしまうものです。卒業すればテストに悩まされたり、勉強しろといわれることもなくなります。しかしそれからが、本当に言葉をつかって生きる、テストではない実人生の本番なんですよ。そして、そのときにつかう言葉の質が、その人の人生とその人の世界の質を決めていくことになるんです。

自分の五感から出発して対象の「客観描写」へ

――「国語専科教室」では、どのように「書くこと」を教えていらっしゃるのでしょうか。

最初に左のような絵を見せて、「右下に見える変なものは何でしょう」と考えさせます。なんだと思いますか? じつは、これは絵を見ている人自身の鼻なんですよ。

つまりこの絵は、自分の目から見える世界を表したものなのです。見ているのは自分自身だということを意識させ、「今ここで、こうやって生きている、自分のリアルな感覚」を言葉に置きかえるところから始めるのです。

子どもたちが学校で習う国語はいわば「天動説」で、先生が一段高いところから教科書の文章を教えてくれるのをただ受け取るだけです。けれども「書く」ということは「地動説」であって、自分が主体となって感じ、考えることで初めて書くことができる。視界のこちら側には「自分」がいて、その自分が対象物を見て、考えて、理解して、それを書いていく。同じものを見て書かせても、子どもによって書き方はいろいろです。それぞれが見て、考えて、書いたものだからです。

こうして「見る」「触る」「匂いをかぐ」「音を聴く」「味わう」といったように、自分の五感で感じたものを書かせることから出発し、次にだれかが何かをしている絵を見せて、「いつ、どこで、だれが、何をする、なぜ、どんなふうに」を書かせる。そして、視覚的な情報を文字の情報に翻訳する練習、「客観描写」に移っていくわけです。

――「客観描写」の練習として、漫画『コボちゃん』の内容を書き言葉で説明させることをすすめていらっしゃいますね。

教室では『コボちゃん』のオチがわかるようになる小学3、4年生から「コボちゃん作文」をやらせています。これは、登場人物の気持ちや様子、状況を適切な言葉に置きかえ、漫画を見ていない人にも内容がわかるように書く練習です。最初のうちは、ふきだしの言葉そのままを書いてしまう子が多くて大変ですよ。それをだんだんに間接話法、「書き言葉」に変換させていくわけです。

「コボちゃん作文」は「客観描写」の初歩的な手法ですが、漫画の中で「もの」や「ことがら」がどのように配置されているかをきちんと見分け、それをできるだけ客観的に正確に書くことを訓練します。自分の意見や感想を書かせる前に、まず正確な言葉のつかい方、文章の「型」を学ぶんですね。「書くこと」が嫌いな子でも、ほとんどの場合、漫画のおもしろさに引きずられ、どんどん「書いて」いきますよ。

そのほかにも、子どもが好きなスポーツのルールを説明させたり、道順を説明させたり、いくつかのキーワードを全部つかって自然な文章を作る練習なども有効だと思います。

「○○しました。楽しかったです。」から抜け出すために

――「客観描写」から、自分の思いや考えを表現する段階までに段差があるような気がしますが、どのように乗り越えていくのでしょうか。

まず知っておいていただきたいのは、大人たちが「思ったままを自由に表現しなさい」と言っても、子どもたちは「つまらなかった」「疲れました」といったマイナスの内容は絶対に書けないと思いこんでいるということです。思うまま書くことができないから書くことが楽しくないし、嫌いなんです。そして、成績のいい子ほど評価されることを意識して、子どもらしさを装った作文、大人の顔色をうかがうような作文を書こうとする。でもそこには、その子の思ったままの自由な発想も考えも表現されていない。

だからこそ、まずは徹底的に「客観描写」をやらせることに意味があるんです。実際にやらせてみるとよくわかりますが、同じ対象を観察して書いても、そこにはちゃんとオリジナリティが出てきます。子どもによって受け取るものは違うし、それを書き言葉で表せば、それもまた違ってくる。書いたもののなかに、ちゃんと「自分」が表現されているんですよ。ただ「考える」ということに関していえば、『コボちゃん』はあまり考えなくても、絵をそのまま描写していけばそれなりの作文が書けてしまうんですね。そこで「コボちゃん作文」ができてきたぐらいで、『ロダンのココロ』のような、主題を意識して書かなければ伝わらない漫画を文章で説明させる段階に移ります。

この漫画は犬の立場・視点から人間のやっていることを観察したり、ともに行動したりする内容なので、人間と同じにならない犬の気持ちを読み取って書き分けることが求められます。そのためには、全体を見渡して主題をとらえ、何が起きているのかを説明しなければなりません。この、説明する言葉をつむぎ出す過程で、「考える力」が鍛えられるんですね。

――「客観描写」を経て、「ロダン作文」で考える力も鍛えていくと、今度は観察する対象がなくても、自分の頭の中、心の中にある考えや気持ちを客観的に観察して、文章に書き表すことができるようになるということでしょうか。

そういうことです。書くことに慣れていない子の作文は「○○しました。楽しかったです。」になりがちですが、自分の心の中を客観的に観 察して、それを言葉で書き表せるようになってくると、「なぜ、どこが、どんなふうに楽しかったのか」を自分で掘り下げて分析できますから、状況や気持ちをより正確に表現できる言葉がほかにもあると気づくわけです。日ごろ漠然と感じていることも、書き言葉で表すことによって、内容がすっきりと整理され、事実がより明確に浮かび上がってくるんですね。

――書くために必要な語彙を増やすには、どのような工夫をすればよいのでしょうか。

やはり読書、しかも多読ですね。語彙には読んでなんとなくわかる「理解語彙」と、自分の言葉としてつかうことのできる「使用語彙」があります。「理解語彙」をいかに「使用語彙」にしていくか――そのせめぎあいを、読書のなかでやっていくんです。

わからない言葉が出てきたときにいちいち辞書を引かなくても、読書を重ね、何十回と繰り返し出てくるうちに、だんだんにその言葉のニュアンスがつかめてくる。そしてさらにたくさんの本を読んでいくうち、ニュアンスがわかるだけだった「理解語彙」のつかい方も学んで、それが「使用語彙」になっていく。それが理想です。

一定の黙読力がついてきつつある小学生のある時期に、夢にうなされるように、あるいははしかにでもかかったように夢中になって本を読む期間が、二、三カ月でもいいからあるといいですね。そうしたことを一回でも経験すれば、「使用語彙」も増えますし、一般的な常識力もついてくるものです。

――すでに書くことに拒否反応を示してしまっている子の場合はどうしたらよいでしょう?

「書けない」「何を書いていいかわからない」という子どもでも、よく聞いてみると、ちゃんと自分の考えをもっている子が多いんですね。しかもけっこう鋭い切り口で物事をとらえていたりする。ただ、それを素直に表現する自信がない。出してはいけないと思っている。そうした「正解主義」の子どもたちには、「たった一つの正解なんてないのだから、何を書いてもいいんだよ」というメッセージを伝えてあげることが必要でしょうね。自分が見たもの、感じたもの、とらえたものが、とりあえずの正解なのだと伝えてあげたい。

文章とは、自分を納得させ、自分の思考を構築するために書かれるもの、あるいは、なんらかの問題解決のために書かれるものでもあります。他者に評価されることが目的ではありません。表現としてうまい作文よりも、まだ表現は下手だけれども自分の考えに忠実に、かつ深く考えようとしている作文のほうを、わたしは評価してあげたいと思います。

書くことは「生活の手ざわり」と直結している

――書くことに抵抗感のない子を育てるために、家庭でできることはありますか。

書くことは、生活の質、いうなれば「生活の手ざわり」と直結しています。たとえば朝の風の気持ちよさを感じたり、食べ物一つひとつの味わいを感じたりする余裕を大人がもっている。そうした「生活の手ざわり」を味わえる大人が、それらを自分なりの言葉で表現する――そんな環境のなかで、子どもにも生活を味わうための語彙が増えていくんです。生活を大事にせず、ただ忙しく時が流れていくだけでは、「言葉」なんて生まれてきません。

同じ世界に生きていても、細かな手ざわり、機微、違いを見分け、感じて味わうことができるかどうかで、生きていく世界は全く違うものになる。それが先ほど申しあげた「つかう言葉の質が、その人の人生、その世界の質を決めていく」ということなのです。

わたしたちは、たんなる一切れの情報を伝達するためだけに書くことを学ぶのではありません。書くこととは、何もないところに自分の考えを積み上げ、「ほかとは違う」自分を創り上げること。それは新しい未知の世界を創造することであり、それこそが「生きていく」ということなのです。

――ありがとうございました。

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