吉田真澄「ホンのつぶやき」 第2回 人生に効く芸術――“SWINE LAKE”

おいしそうなバレエ

20世紀最大の絵本作家との呼び声も高いモーリス・センダック。ファンタジーの世界をそのまま視覚化する、という大技をやってのけた彼の作品の多くは、読者に強烈なインパクトを与える。時に女の子を本気で怖がらせるほどに。

しかし、故ジェームズ・マーシャルと合作したこの本は、女の子好みの愛らしさがそこはかとなく漂う一冊となっている。マーシャルの遺稿に、その親友であったセンダックが自らの絵をつけて出版したとのことだが、やはり作品全体を統べるセンダックの存在感は圧倒的だ。折に触れセンダックが語っていた、芸術家の生き方に重なる作品ともなっている。

ストーリーは、主人公のうらぶれた文無しのオオカミが「白ブタの湖(「白鳥の湖」をもじった演目)」を鑑賞するうちに、その舞台に心奪われ、ついには、当初の目的であったブタを食べることさえ忘れてしまう、というものである。

当時、この本が大のお気に入りだった3年生のUくんは、「ぼく、このオオカミの気持ちがわかる」とよく口にしていた。彼の場合、熱中していたのはバイオリンで、「上手な(有名な)人の演奏を聴いていると、おなかが空いたのも忘れちゃうよ」というのが、最初の感想だったと記憶している。

優れた芸術が、いかに人の心を惹きつけるかを、Uくんは幼いながらも自らの体験から知っていた。この物語の主人公は、バレエの舞台をたった一度観ただけで、その人生を一変させてしまうのだが、それは、バイオリン演奏に専心励んでいた当時の彼にとって、容易にアイデンティファイできる展開であったのかもしれない。

原題は〝SWINE LAKE〟(ブタのみずうみ)。ロシアバレエの中にあって、最も古典的な美しさが際立つ「SWAN LAKE」に準えた題名の中には、作者の深い思い入れもあったのではないかと想像する。いくらオオカミとブタの物語だからといって、この邦題は、安易に過ぎるのではないだろうか。音楽、舞踊、絵画、多くの芸術を心から愛した作者ならではのライトモチーフ――芸術との出合いは、人の心も、その生きる方針さえも変えてしまう力がある――は、等しく、芸術に憧憬をもった幼い読者を、純粋に生きよと励ましているように私には感じられるからだ。

物語は、自分の出演した舞台を報じる新聞を読んで悦に入る主人公の姿で結ばれる。ニューヨークのブロードウェーでは、前評判の高い芝居や舞台の初演後の早朝、必ず専門家の評価が新聞に発表され、そこで評判の芳しくないものはたった一夜で終演になってしまうこともあるのだから、記事のチェックは緊要なのだろう。Uくんにそのことを伝えると、「一流の道は厳しいね、先生」と神妙な顔で頷いた。

吉田真澄 プロフィール

大学卒業後、児童書出版、販売業に従事。国語専科教室の講師となってからは、子どもたちが読む本の質と国語力の関係を追究。読書指導の重要性を訴え続けている。他に、雑誌への執筆、子どもと本に関する講演活動も行う。共著に『子どもの才能は国語で伸びる』(エクスナレッジ)』などがある。



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